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改訂 1997/12/8
移設 1999/4/29

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銀幕のいぶし銀・第55回

『日本の黒い夏・冤罪』

('2001/日活)
監督:熊井啓
出演:中井貴一・寺尾聡・石橋蓮司・遠野凪子・細川直美

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 1994年6月に起こったいわゆる「松本サリン事件」では、捜査方針に当初判断ミスがあったため、事件の第1通報者であり被害者の会社員が容疑者であるかのようにマスコミ報道されたのは今だ記憶に新しいところである。この映画は松本サリン事件に材をとりながら、警察の判断ミスというものがいかにして起こり、暴走するマスメディアが一市民を犯人に祭り上げていく様を描いた作品である。

 この事件自体センセーショナルなものであり、この手の映画はとかく目先の話題を追いがちであるが、それでも監督の熊井啓は、古くは『帝銀事件・死刑囚』や『日本の熱い日々・謀殺下山事件』、近作では『海と毒薬』など、実在の事件をモチーフにした作品群を多く作っているだけあって、事件の全体図を効率良く描写することには成功していると言える。これらはドキュメンタリーとは明確に区別されて一般的に「社会派映画」というジャンルで総称されるが、このジャンル自体、ある種の時代性を色濃く反映する特殊なものではある。熊井啓は現代においても、このような手法が題材によっては有効である事を提示している。

 勿論事件が終結しているものだけに、物語としては予定調和的にならざるを得ない。しかしテレビドラマなどではなく映画という形で、この題材を扱うことにはやはり一定の意義が見いだされるであろう。何より映画が「作品」と見なされている現在において、テレビや新聞に対抗するメディア的側面を映画の中に見いだしていくというスタンスは極めて貴重であると言える。

 そして見るべきは、この映画のオーソドックスさである。美術やキャメラワークなどを時代掛かっていると判断するのは早計で、熊井啓は自身のキャリアの中で自らが提示できるものを正確に表現しているのであり、その律義さは、映画の時代性では済まない側面のものである。映画ではむしろ、松本の事件にまつわるスペクタクルな部分---サリン事件が起こった当夜の再現をモブシーンとしてしっかり描いていることや、寺尾聡ふんする容疑者のまわりを、報道陣・報道車両が執拗に取り巻く様を重視している。これらは一言で言えば、エンターテイメントとしての映画の古典的要素であり、それらを人間の数や物量で見せる、という意志が明確に現れている。

 物量表現とは具体的に数が物を言う表現である。黒澤明は『乱』の撮影時、実際に画面に映る馬の3倍は用意させ、それが画面の迫力に繋がるということなのである。今のアメリカ映画のCGをメインにした物量表現とは違い、素朴な力のあるオーソドックスな物量表現を今の日本映画でストレートにやろうという意志は貴重であろう。





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