銀幕のいぶし銀・第26回
『あ、春』
('98・松竹)
監督;相米慎二
主演;佐藤浩市、山崎努、斉藤由貴、富司純子、藤村志保
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淀川長治が亡くなった。「もっと映画を見なさい」が最後の言葉だとは、実にこの人らしい。亡くなる前日までテレビの収録をしていたというから、この人の映画に賭ける情熱の凄まじさにはひたすら敬服するのみである。
あの独特の語り節は、心に残る映画のワンシーンを忠実に興味深く人に伝えるという点においては、最強の技であった。常に身ぶり手ぶりを交えて熱く語られる映画の数々に、聞く方は思わず身を乗り出して興味をかき立てられるのだが、映画を見る喜びをそのまま身体で表現できる才能は、これはただ映画を愛しているだけで出来ることではない。長年の映画的経験から生み出される映画的感性の賜物であり、これは映画に愛されている者だけがなし得ることなのだ。
さてそこで今回紹介する『あ、春』だが、これは相米慎二監督久しぶりの新作である。相米慎二といえば、『セーラー服と機関銃』『台風クラブ』や『雪の断章-情熱-』で、ワンカット10分を超える長回しなど独特の手法から、日本映画に新たな潮流を生み出した監督、今日本で数少ない「映画に愛されている」監督である。そんな彼が、実に『夏の庭』以来4年ぶりの映画である。しかも「子供の映画」ではない。佐藤浩市、山崎努、斉藤由貴、富司純子、藤村志保など強烈な面々が揃った「家族の物語」である。
郊外の一戸建てに住むサラリーマンの家に、ある日ひょっこり父親を名乗る男がやってくる。パッと見は浮浪者だ。こりゃおかしい、父親はずっと前に死んだはずだと思っていたら、早速常識はずれの騒動を繰り広げ大騒ぎになる。ここでいかにも相米映画らしい、と思えるのは、節分の日に佐藤浩市が家に帰ってみると、山崎努が新聞紙で作った鬼のお面をかぶり、子供と斉藤由貴や藤村志保たちと一緒に、庭先から家中を豆をまきながら駆け巡っているのである。そのはしゃいだ風情に佐藤は今まで見たことのない家族像を見るのだが、あっという間に家族に溶け込んだ山崎が、落ち着いた家の雰囲気をガラリと一変させてしまうこのくだりは、ひたすら身体を動かすことで映画を躍動させていく相米慎二の面目躍如といった感がある。
そうやって彼の映画は身体で作られるのであって、頭で作るのではない。この本質は、実は淀川長治が教えてくれた映画へのアプローチと同じで、それは一言でいえば「体験」としての映画である。映画を身体で受けとめることで、真の映画の喜びを感受することができるのである。
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