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「銀幕のいぶし銀」第8回

『全身小説家』('94年、日本/疾走プロ、137分)

  監督;原一男
  出演;井上光晴、埴谷雄高、瀬戸内寂生

  95年度キネマ旬報ベストテン第1位

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 『地の群れ』などの小説家・井上光晴が92年5月に亡くなるまでの3年間、全国の講演会や文学伝習所と呼ばれる場での彼を取り巻く人々と様々な逸話、小説を書きガンと闘っていく生活をもとに構成されたドキュメンタリーである。といっても彼の小説世界に触れることよりは、彼自身の人生世界に肉薄していくのが特色で、しかも「ガンになった芸術家の闘病記」といった類型に陥らず、彼の人間そのものを浮き彫りにしていく手法が、さすがは『ゆきゆきて、神軍』を創った原一男監督の素晴らしさである。

 井上光晴という人物の魅力を語るに、文学伝習所の生徒である中高年の女性たちは皆「熱狂的なファン」どころでなく、60を越したこの男に「恋している」と言わんばかりの心酔ぶりだが、すぐ同じ小説家・埴谷雄高が「彼は3割バッターだ」と喝破する。つまり、会った女性すべてを口説くが当たるのは3割、ということなのだ。それくらい彼は飄々としていながら、常に明晰な語調で仲間と語り酒を酌み交わし、時には皆の前でストリップさえ披露したりもする。野放図とも言われかねないこのような言動が不思議に調和を保っているのも、彼の内面が上品で激しい熱情に裏打ちされているからに他ならない。

 注目すべきは、文学論や人生論をぶつときの熱情あふれる弁舌に対して、ガンについて医者へ尋ねるときの口調は、まるで人ごとのように冷静沈着なことだ。少しずつ拡がっていくガンと肉体の衰えは自覚しながらも、彼が専ら気にするのは小説を書く時間がなくなっていくことで、しかも「死の淵から」といったテーマでは絶対書かない、「嘘八百の短篇の一つでも書いたほうがいい」と断言するのである。これは死に対する不安とかいうレベルの話を越えている。

 彼の小説への執念はフィクションの力を信じることから始まっている。映画の中で彼の経歴や親子関係など、逸話の多くが空想の産物……虚構だと判明するが、それは詐欺とかインチキなどの類ではない。虚構こそが人を喜ばせ、ひいては自身を輝かせていく、その真理を彼は人生を賭して体現したという事なのだ。だから虚構だけがリアリティーあるものとして井上光晴を支えているのであり、彼を裏打ちしている小説はまさしく虚構=リアルなものだ。彼は最後のインタビューで「しかし何か、死なないかもしれませんね、ひょっとしたら」と冗談めかして語るが、彼はその言葉で本当に死なないし、そうやって真実を自らのものにしていったのである。

                       1997年 5月 29日





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