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改訂 1997/12/8
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銀幕のいぶし銀・第24回

『時雨の記』

('98・東映)

監督;澤井信一郎
出演;渡哲也、吉永小百合

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 久しぶりに、日本映画の新作が紹介できる。『時雨の記』は秋の公開にふさわしい文芸作品だ。渡哲也と吉永小百合が、日活映画時代から実に30年ぶりの夢の共演となったのが話題である。昭和から平成への変わり目〜バブルの時代を背景に、ひたすら純粋な恋愛を求めて、物欲の幸せではなく心の幸せを追及する二人の物語を、『福沢諭吉』や『日本一短い母への手紙』の澤井信一郎監督が丹念に描いていく。

 吉永小百合は若くして夫を失い、古都鎌倉で生け花を教えながらひっそり暮らしている。渡哲也は大手ゼネコンのバリバリ専務だが、若いころ見た彼女の面影が目について離れない。彼女と20数年ぶりに偶然の再会を果たし、今も全く変わらぬ彼女の風情を見た時、渡は劇的に「自分」を取り戻し、家族も仕事もおいてひたすら彼女にアタックしていくのである。

 このアタックぶりは並外れて強烈だ。渡は驚くほどの猪突猛進さで小百合に迫っていくのだ。しかも渡は自分の押さえきれない恋愛感情に浮足立つことなく、常に冷静沈着に彼女の自宅や仕事先をどんどん訪れ、わずかな時間でも彼女の元にはせ参じるのである。この渡の態度には全く迷いがない。家庭関係が危うくなると、小百合のためにあっさりと家族を捨てるようなことまでいう。一見すると何を考えているのか分からないほどのこの迷いのなさ、揺るぎなさこそ、渡哲也の長い俳優生活で培った人物造形であり、これこそある意味純粋な心情の表現である。

 この映画での心の幸せとは、ひたすらプラトニックな恋愛を貫き通すことで成就されるのだが、考えてみれば「失楽園」などがブームになるような現代において、もはや殆ど死語になった「プラトニックラブ」を映画にすることは非常に困難なことなのである。そこに登場する吉永小百合は、タイムスリップしたかのように日活時代の青春映画スターそのままの純情無垢な形でいる。それ以外にはプラトニックを支える手段はないのだ。

 そんな難しい題材を前にして監督の澤井信一郎がとった演出は、もはやプラトニックは大人のファンタジーなのだ、という一点に尽きている。初めて渡が小百合の頬にキスをして、子供のようにふざけあう姿を見ると、「大人の恋愛」とは実は子供の頃の恋愛の延長にある、と実感できる。この境地に行き着いた『時雨の記』は少なくとも『失楽園』より遥に成熟して、しかも遥に若い恋愛映画となったのである。






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