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改訂 1997/12/8
移設 1999/4/29

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銀幕のいぶし銀・第23回

『ナージャの村』

('97、日本・ベラルーシ共同製作)

監督;本橋成一
語り;小沢昭一

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 今回紹介する『ナージャの村』は、映画の成り立ちから興味深い。監督はドキュメンタリー写真家として活躍している人だが、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所爆発事故で大きな被害を受けた村を訪れたとき、彼が見たものは被害に苦しむ人々だけではなく、そこで営まれる全く昔ながらの、豊かな自然に根差した素朴な暮らしだったのだ。むしろこれに大いなる感銘を受けたことが、映画製作の直接の動機になっているのである。

 事故前は300世帯以上が暮らしていたというこの村も、移住を余儀なくされ現在は6世帯を残すのみ。村はゲートで封鎖されている状態だ。だが実際、この村の自然は本当に豊かである。映画は冒頭、たわわに実った果実を母と子が収穫するシーンから始まるが、じゃがいもを植えたりヤギの乳を搾ったりと、村の人々は豊かな自然の恵みを受けることで暮らしている。8歳の女の子、ナージャは子供たちと自然の中で遊ぶし、魚を釣る人もいればウオッカに酔う人もいる。ポルカの祭りもある。ここの人たちはそうやって何百年も生活してきたに違いないのだ。

 事故自体は全く不幸な出来事なのだが、そのことによって逆に、自然とともに生きることの価値が突然「再発見」されたのである。昔から連綿と続きあまりにも当然のように受け入れられていた暮らしが、実は本当にかけがえのない大いなる営みである。82歳のお婆さんが「草木も人も、生まれたところで育つのが一番いい」とつぶやくのだが、その言葉が伝える重みは本当に貴重だ。

 考えてみれば、ナージャの村の暮らしも人の営みなら原発も人の営みである。事故は大きな出来事であるが、数百年の重みを持つ営みに対すれば一瞬といってもいいことだ。一瞬のことは決定的であるが、人々が日々培っている数百年の方がむしろ人間にとって価値ある事なのではないだろうか。

 人の暮らしにおける数百年と一瞬、という時間の対比。これこそ、写真家が写真だけでなく映画という手法を導入して描きたかったことなのに違いない。そして素晴らしい人の顔は、間違いなく数百年かけて作られていくのであり、一瞬の出来事ではそう簡単に揺るぎはしない、という力強いエールを送っているのである。だからこそ、ナージャの村の人たちは子供からお年寄りまで皆素敵な顔をしてるのだ。

なおこの映画に関する問い合わせは、サスナフィルム(03-3227-1870)まで。






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