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「銀幕のいぶし銀」第14回

『につつまれて/かたつもり』

    ('92&'94、40分+40分、日本/組画)

95年山形国際ドキュメンタリー映画祭・国際映画批評家連盟特別賞
                同・奨励賞

監督、構成、編集;河瀬直美
出演;河瀬宇乃

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 いかにも印象的な奈良・吉野の山深く、平凡に暮らす家族が父親の失踪を機に変容していく様子を描いた映画『萌の朱雀』によって、今年のカンヌ国際映画祭で日本人初のキャメラ・ドール(新人賞)に輝いた河瀬直美の、これは92年と94年に撮られた初期の中編2本である。

 河瀬直美はそもそも自主映画作家なのだが、『につつまれて』『かたつもり』は共に、家族と自分を捉えたドキュメンタリーで、一種の連作ともいえる内容的連関を持ち、このテーマは『萌の朱雀』にまで続くものである。

 『につつまれて』は冒頭、何やら口論する声で始まる。「何で今更父親を探して、映画に撮りたいなんて」「お父さんがいなくても家は幸せだっただろう、もうお父さんのことなど忘れて暮らしなさい」などと、相当な剣幕で彼女を非難しているのは、彼女のおばあさんだろう。この間、喧嘩の様子を捉えた映像はない。だが花や木の映像をバックに、時には河瀬直美自身の口答えするような呟きも混じりながら、この喧嘩は延々と続く。まずこの出だしが非常に印象的なのだ。

 幼い頃に父親がいなくなった彼女自身の体験。おばあさんにかわいがられ、生活に不自由はしなくとも、やはり何か心に欠けているものを映画を通じて探ろうとする試みが、この作品なのだ。その行為をフィルムに収めることがすなわち、彼女自身の姿を形作るように、彼女は何度も自分の姿や影を撮影しながら、過去の戸籍や写真を手掛かりに、精力的に父親を追跡する。

 だが皮肉にも、父親の影が色濃くなるにつれ、彼女はかえって自分を見失っていく。おばあちゃんをはじめ家族のみんなで支えてきた「幸せ」を揺るがしてまで、父親を求める自分は何なのか。未知の自分を探すはずが、今の自分を危うくする。
そして彼女は遂に父親と話をするに至るのだが、父の映像は一瞬挟まれるだけである。

 そして自分の根本を見据え直した彼女は『かたつもり』で、おばあちゃんとの日常をつぶさにフィルムに収めるのである。何という事もない日常。これは幸せと言わずして何であろう。

 彼女の映画の大きな特徴は、子供が鏡に向かって話をするように映画を作ることである。自分と「もうひとりの自分」とのキャッチボール。おばあさんの姿を撮るときでも、彼女はきっと「おばあさんの中の自分」を撮っているに違いない。そうやって自己を延長し、映画という客観的視点を身にまといながら、まさしく彼女自身が完成されているのである。

                1997年11月26日




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