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「銀幕のいぶし銀」第11回

『座頭市物語』('62年、日本/大映京都、96分)

  監督;三隅研次
  出演;勝新太郎、天知茂、万里昌代

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 勝新太郎が亡くなった。入院しても一時は元気な姿をマスコミに披露したこともあっただけに、残念な出来事だ。豪放磊落な一面、やんちゃな子供のような破天荒ぶりは、日本の映画俳優の中でも特異な存在で、このようなタイプの俳優がもう現れることはないだろう。

 彼が演じる役どころは『兵隊やくざ』や『悪名』など数ある中でも、とりわけ座頭市にかける執念には並々ならぬものがある。盲目の按摩が居合抜きの達人で、悪人達を倒していくというこの話、26本の映画、100本を越えるテレビシリーズは無論生涯の当たり役と言っていいのだし、結果的にその最後の作品となった『座頭市』('89)では自分で監督もしているくらいなのだ。

 今回はその記念すべき第一作を取り上げてみたい。『座頭市物語』は'62年度の作品であるが、何しろこの一作目で、座頭市シリーズの基本パターンが完全に出来上がっているのである。というのも、そもそも「座頭市」は子母沢寛の随筆にわずか数行出てくる座頭の市の話を元に、脚本の犬塚稔が大胆に翻案し作り上げたキャラクターなのである。

 監督は三隅研次。市川雷蔵の映画も数多く撮る実力派だが、彼の冴えた演出も市の造形に成功している。雷蔵と勝新は同時期に同じ大映で活躍したスターということでよく比較されるが、雷蔵の扮する机竜之介にしろ眠狂四郎にしろ、常にクールでニヒルな役柄でどこかしら陰のある造形なのに対し、勝新はどことなくユーモラスで金にあくどいこともあるが根っ子は正義感であるという役どころが多い。それに「勧善懲悪」などと美辞麗句に惑わされず、自分のことを常に考えて行動する様子が素晴らしいのである。

 だが座頭市はこの一作目に関しては、座頭といじめられた悔しい思いから世を拗ねるように生きる市の屈折した思いが強く伝わってくる。それに加え、目が見えないというハンデの大きさ。この映画の始まり、丸太橋を四つんばいになって歩く市の姿が強烈なのだ。だがそれが勝新の大柄な体を通して表現されると、じめじめする気配もなく、脚本段階のネガティヴな側面よりむしろ、一本気で気前のいい人間臭さや、太い一直線の道を突き進むかのようなポジティブさが際立ってくるから全く見事なものである。そしてそれがまたシリーズ化して回を重ねるうちに、勝新の内で文字通り体現化されていく。座頭市と勝新は最早表裏一体な人物になっていくのである。この一作目と最後の『座頭市』を見比べるだけでも市の「成長」ぶりが計りしれるであろう。

                        1997年 8月 21日





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